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【100記事記念】自分の存在理由 [□はじめに]

100記事目の今回は、自分のことについて多少お話ししたいと思います。

下の写真は、建設コンサルタント入社4年目に設計を担当したものです。
千葉県の九十九里海岸沿いを走る有料道路の休憩所で、パーキングエリアのようなもの。
(パンフレットの表紙から拝借しました)

当時はまだ道の駅と言うものがなかったのですが、道の駅と同じコンセプトをクライアントに提案し、デザインしました。
(現在は、色々と手が加えられているようです)

僕が建築を志すきっかけとなったのは忘れもしない高校3年生の時。
受験校を決めたのが最初のターニングポイントでした。

 

 

文系科目がとても苦手で、理科系科目が大好き。
コンピュータや電気系、機械系の他、自然科学も大好きな高校生だった。
これからはコンピュータの時代であることは、誰の目から見ても明白。

儲けることや、食いはぐれがないことを考えたら、電気学科を受験するべきだったのだろう。
ところが、同級生の志望校選びを見て違和感を覚えた。
ブランドと言うか名の知れた学校を選び、入れそうな学科を決めている人が多かったからだ。

 

「希望する学科がバラバラなのって、おかしくないか?」

 

と感じていた。
だから、自分の進路を考えるに当たり、

「僕は一体、これから何をしたいのだろう?」

そもそも、僕は何のために生き続けるのだろう?

 

と自問自答した。
しばらく考えたら方向性はすぐに出た。(あまり深く考えない性格なので・・・)

 

「死ぬ時に、あー良い人生だったって!死ねればいいよなー。」

「お金も物も持っていけるわけじゃないし、子や孫に囲まれて死ねたら幸せだよな!」

 

と人生最後のシーンを想像した。

 

「よし、それなら自分の生きた証を残すことに自分の人生を使おう!」

「それなら建築じゃない?よし、建築で決定!」

 

などと超短絡的に考えて、建築学科に決めた。


今考えたら政治家でも、発明家でも、新しいサービスを提供する仕事でも良いのに、
このあたりが学生の視野の狭さと言うか。。。(笑) 



ところが念願の建築学科に入学しても、少林寺拳法ばかりやっていて授業はおざなり。
月刊の建築雑誌である『新建築』は欠かさず購入していたので、見に行ける範囲で建築は
見に行くようにしていたけど。

 


ゼミ(研究室)は、クラブ活動を優先できるところにしたかったから、意匠系(デザイン系)のゼミは
忙しいのでパス!
構造系のゼミに入ったものの、殆ど寄り付かず卒論(と呼べないレベル)も、卒業式の後で
コッソリと先生の机に置き逃げしちゃった。
(そのため、卒業後10年以上も夢でうなされました・・・)


 

バブル華やかりし平成元年、新卒で勤めた職業が建設コンサルタントでした。

僕は地域開発部というセクションで、ランドスケープデザインに関わる設計を主に担当。
ランドスケープデザインと言っても、クリエイティブな時間は殆ど無く、実際は笑う程地味な作業の
連続に、入社して1ヶ月で辞めようかと思った程です。

だけど、、、地味な仕事の中に事の本質があるんですよね!


それでも僕は恵まれていたと思う。
入社して6ヶ月頃に描いた図面で工事が発注され、入社した年の年度末には現場が完成し、
モノ造りの醍醐味を知ってしまったから。

 

国民の大切な税金で、何千万円から億を超える単位のプロジェクトの設計に携わることが
できることにも魅力を感じた。

最初の仕事では、本当に大したことはやらせてもらえなかったのだけど、自分が苦心して考え、
描いたものが出来てしまったことにすごい感動を覚えた。

だって、僕の意志が反映された施設ができちゃって、市民や国民がそれを使ってくれちゃうわけ
ですから!

JRの駅前広場の設計をし、完成した駅前広場を歩いているカップルが

 

「わー、きれいになったねー♪」

 

と言っているのを聞いた時は、握手を求めそうになりました。


その後コンサル時代の9年間で、たくさんの地図を描きかえる仕事に携わり、建設業の楽しさ
と苦しさを覚えることができました。


 

しかし、色々な理由から建設コンサルを辞め、地元浜松にUターンすることにした。

 

建設業の設計業務については、それなりに自信ができていたので、今後のことを考え
マーケティングスキルを得たい」と思ったのが約9年前。
運よく商品企画部門が新規事業準備のため、求人を行っている企業に採用されました。

 

一方、「建築」を知るのと同時に偏った建築の実態があることも知ってしまった。
このまま知らないことにして、自分の家を建てるでけで「良し」にしようとも考えた。

「週末とか夜しかできないけど、僕の知識やスキルを必要としてくれる人がいるのなら建築の
 お手伝いをさせてもらおう!」

と考えたのが一級建築士試験に合格し、免許が交付された時。

 

まず、その年に定年を迎えた義父の田舎暮らしの家に携わらせてもらうことができた。
これが『おじいちゃんの田舎暮らしの家』であり、住宅最初の仕事となった。

 

その後、『素人ママの小さな子供服の店』『O川さんの田舎暮らしの家』
そして「浜自カフェ」へと途切れることなく、思いは徐々に形になっている。
もちろん、色々な人の協力があってのことです。

 

住宅設計の仕事は、お世辞にも儲かる仕事とは言えない。
それでも、巨匠と言われる建築家が

 

「住宅設計は面白いからやりたい」と言う。

 

住宅は、使う人とマンツーマンで一つの目標に向けて取り組めるからだと思う。
利害関係が複雑に絡むような組織相手だったり、利用者不在のプロジェクトは目標の共有が
できないと、狙った通りの成果が得られないことが多い。
(コンサル時代はそんなのばっかりでしたから・・・)


さて、これからどんな建主と出会い、どんな建築ができるだろう?


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わすれなぐさ

100記事おめでとうございます♪
ご自身の今までを振り返り・・・現在を見つめ・・・
そして将来への大きな希望を描いていらっしゃる浜自カフェさんを感じ致しました。
充実した道程でしたね。
一歩ずつ、着実に踏みしめていらっしゃったのでしょうね。
モノを作ることって、とても神秘的なことだと思っています。
そこには芸術力も創造力も忍耐力も必要だから。
もちろん天性や感性がベースにあってこそ・・・
浜自カフェさまの『これから』に大いに期待しております。
101からスタートされる、ここからの道程も、楽しみにしていますね。
おめでとうございます☆
by わすれなぐさ (2006-09-12 03:25) 

miho-rin

100記事目 おめでとうございます。
節目を飾る素敵な記事になりましたね☆ 
短絡的かどうかは別にしても 
安易に決めている風潮は私も感じています
ところで 平成元年入社って もしかして同い年ぃ???
なんか共通点見つけて嬉しかったです♥ 
道の駅って 好きなので 見つけると つい入っちゃいます
誰しも受け入れてくれる感じが良いですよね
by miho-rin (2006-09-12 08:07) 

ゆつき

素晴らしい人生感ですね。
私も死ぬときに幸せって思えたらいいやって思うタイプです。
学生時代は同じように目的も無く、自分の学力で入れる所を
探している人が大半でした。私も似たようなものです。
今後どのような未来があるかは、なんともいえませんが個人的に
マーケティングは今以上に大きな役割を果たすような気がします。
by ゆつき (2006-09-12 08:57) 

アキラ

100UPおめでとうございます。
浜自カフェさんの人生観の一端を垣間見て、私の稚拙さを痛感しています。
元々の頭の出来も違うんでしょうから、仕方がありません。
思いを共有できるとしたら「住まい作りは、使う人とマンツーマンで一つの目標に向けて取り組める」から、今の仕事をやっている。
と言える事ぐらいでしょうか?
これからも、いい話を聞かせてください
by アキラ (2006-09-12 13:45) 

hidenosuke

明確な目的も見出せずに進学した自分が恥ずかしいです(^^;
私は明確な目標や夢を持って邁進している方を見ると、うらやましいです。
今の自分は、ただただ責任感だけで仕事をしているような気がしてならないから...
これから浜自カフェさんが手がけたどんな建物が生まれるのか、楽しみにしております。
by hidenosuke (2006-09-12 16:54) 

浜松自宅カフェ

●わすれなぐささん
 喜んだり凹んだり、山あり谷ありの道程です。皆さんと同じです。ですが、自分の
 人生を考えた高校生の思いがゆっくりだけど、確実に実現しています。
 「夢は見るものではなく、かなえるもの」だから、前向きに生きたいと思います。

●みほさん
 素敵な記事ですか?ありがとうございます!嬉しいです!
 みほさんも平成元年組ですか?僕は一浪しているので一つ上だと思います。
 道の駅お好きなんですね!おほほー!僕も好きなんですよ~♪
 山形県ですが、道の駅の設計もやりました。いつか記事にしますね。

●ゆつきさん
 勉強を頑張ろうと思っていましたが、もっと大事なものを見つけてしまい、弱い
 自分は両立ができなかっただけです。トホホです・・・
 マーケティングは知れば知るほど、奥の深さを感じます(当たり前ですが)
 ブログを書くのはスキルアップにとても良いですね!

●アキラさん
 僕は自分の感性に素直なだけで、決して頭が良い方ではありません。
 ブログを書いて、皆さんの反応を見ることで自分の軌道修正をしています。
 世の中の縮図がある訳で、おかしな考えであれば、読者は離れていくでしょう。
 自分の中のモノサシとして、とても重要なものになっています。
 アキラさんの記事も必ず目を通していますので、ご活躍下さいね。

●hidenosukeさん
 うちはお世辞にも裕福ではなく、母がすごい苦労をして大学に行かせてくれ
 ましたから、「遊び」で進学したくなかったのです。自分を納得させられる明確
 な理由が欲しかったのですね。
 母は、僕が「大学に行って強くなった!」と妻に言ったそうです。のび太のように
 ナマケ者で弱虫の僕が意識改革をできたのは、学生時代の4年間があった
 からです。それを無駄にしたくないと言う気持ちも強いかもしれませんね。
by 浜松自宅カフェ (2006-09-12 21:43) 

gottu329

100記事目おめでとうございます。
今までの記事を読ませていただいていると、浜松自宅カフェさんが
施主の立場に立った設計をされていることがよく分かります。
そういう建築家と出会えることが、いい家を手に入れる第一歩だと
私は思います。今回は仕事熱心で、家族思いの浜松自宅カフェさん
の人生観にnice!です。
自分の設計したものが建築され、皆さんに喜んで使っていただける
ことは、本当に設計士冥利につきますね。浜松自宅カフェさんの
手がける住宅のアップ、これからも楽しみに読ませていただきます。
by gottu329 (2006-09-12 22:42) 

stella

100記事、おめでとうございます!
私も進学の際はかなり考えたけど、
18才で、「「死ぬ時に、『あー良い人生だった!』って死ねればいいよなー。」
とまでは考えなかったなぁ。
その頃って、自分に「老い」がくることなんて、想像もしていなかったから。

ビジネス(人生もそうか?)を成功させるのには、
R&Dと仮説を立て、仮説の検証をすることが、とっても大切なのだと
実感している今日この頃です。
忙しそうだけど、身体には気をつけてね。

今後も楽しい記事を楽しみにしております。
by stella (2006-09-13 16:56) 

浜松自宅カフェ

●hgchさん
 過去記事まで読み込んでいただけたようで、ありがとうございます。
 この記事は重くなりそうな気がしたので、書くのはためらったのですが、後押し
 してくれた方の薦めもあり、100記事目に書くことを決めました。
 本物だけが生き残る時代になるよう、頑張りたいと思います。

●stellaさん
 人生の大先輩のstellaさんからそう言って貰えると勇気が出ます(^^)v
 R&Dと仮説立て、そして仮説の検証は、ビジネス(人生も)を育てていく上では、
 大切。その通りですね。
 スタバもドトールも最初は6坪程の小さな店からスタートしたらしいですね。
 どちらも、お客様に美味しいコーヒーを飲んでいただきたいと言う思いから。
 残りの人生、どこまでできるか判りませんがチャレンジするには十分です。
by 浜松自宅カフェ (2006-09-13 23:36) 

JOHN

100記事おめでとうございます。nice!押し逃げしておりました^^;
この記事を読んで、なるほど設計・建築って何十年も、何百年も(?)
残るものだよなぁと改めて感動してしまいました。
これからもいいお仕事を。
きっと浜自カフェさんの思いは、伝わると思います!
by JOHN (2006-09-14 08:56) 

浜松自宅カフェ

いえいえ、押し逃げOKでございますよ(^^)v
逆に、気付きを得ました。そうですね、何百年も残ることはまずないでしょうけど、
社会資本を作ると言う気持ちは常にあります(少々大袈裟ですが・・・)
最終的に、保存運動が巻き起こるような建物を造れたら本望ですね!
by 浜松自宅カフェ (2006-09-15 10:18) 

plusgate

おおっ 100記事UPなんですね。おめでとうございます。
同じく、住宅に魅せられたものとして、これからもがんばりましょう!!
by plusgate (2006-09-15 10:34) 

浜松自宅カフェ

●plugate316さん
 ありがとうございます。お互い良質な住宅を提案していきましょう。
 これからも色々教えてください。あっ、カフェも行きますから~
by 浜松自宅カフェ (2006-09-17 11:29) 

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