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浜松を象徴するランドスケープ [ ・ランドスケープデザイン]

元日に浜名湖サイクリングをした際の帰り道のこと。
普段見慣れているはずのこの景色を見て、思わず足が止まりました。
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■旧東海道「舞阪宿」の松並木
手前右側にある建物は公衆トイレなのですが、この手前で現在の国道1号旧東海道
分岐しています。

 

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■1,604年から残る旧東海道の景色
ひなたCAFEにほど近い国道257号も旧東海道のため、ところどころに松が残り松並木の
名残りは感じられますが、ここほど東海道らしい景色を感じることはできません。

車の場合は移動が目的ですから、一度二度通っただけではこの景色すら気付いて
いない人も多いかも。
道路幅は狭く一方通行になっているため、意図しなければまず通ることはないと思います。

 

もちろん浜松に戻った10年以上前からこの場所の存在は気付いていましたが、これまでは
「旧東海道の松並木が保存された場所」という認識でしかありませんでした。


しかし、「浜松城公園長期整備構想」について考える機会をいただいたことで、
今回、この場所を通った際にこの場所が違ったものに見えてきました。

と言うのも、「この景色こそ旧浜松を象徴するランドスケープになるのではないか?」
と思ったからです。

 

当初、浜松城公園セントラルパーク構想として計画されていたものが白紙に戻され、
浜松城公園長期整備構想というプロジェクト名に変更され、


徳川家康が居城した浜松城


を核とした整備になりつつあります。

 

昨年の年末に浜松市が実施した、浜松城公園長期整備構想にかかる意見交換会
に出席した際に参加者の一人が発言した、


「浜松城なんだから徳川家康で良いんじゃないか?」


という意見を聞き、


「ごもっともだ!」


と多いに納得しました。

 

その意見で僕自身の考えもまとまり、

(緑政課による)浜松城公園内だけの整備ではなく、道路課や都市計画課も
 交えて旧浜松城跡を一体的に統一し、265年間続いた江戸時代をつくった
 徳川家康のことがわかる公園にしたらどうか?」

と僕自身の考えを申し上げました。

 

そのコンセプトなら、「ランドスケープデザイナーとして絵を描ける、手が動かせる」
と思ったからです。

100年先を見据えた公園整備計画には誰も反対しないでしょう。
まして、265年ですよ。
徳川家康が果たしたことから現代人が学ぶことは多いように思いました。


 

現代における戦いとは、ビジネスと言えるでしょう。
浜松と言う町は、全国的にみても起業する人が多いそうです。
トヨタ、ホンダ、スズキ、ヤマハなど世界的企業の創業者を多数輩出しています。

浜松城の出世城というイメージは、ビジネスマンにとってはとても縁起が「良い」と思うんです。

 

そのようなわけで公園整備を徳川家康を柱にするとしたら、ランドスケープのモチーフは
浜松城を核とした江戸の景色だと思ったわけです。

もちろんそのまま再現するだけではなく、周囲の状況によってはモダンにアレンジすれば、
世界に通用するクールジャパンとして紹介できると思います。

IMG_0253.jpg
■舞阪宿の説明石碑
石碑の裏にはこの松並木に関する説明が書かれていましたので、文章の一部を
校正し、ご紹介したいと思います。

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東海道松並木

この松並木は1,604年(慶長9年)、徳川幕府の命により街道を整備し、
クロマツを植えたのに始まる。
1,712年(正徳2年)には、舞阪宿の東端見附石垣より馬郡(まごおり)境
までの約920メートル(八町四十間)、道の両側の堤に1,420本の立木が
あったという。

その後、寿命や台風で倒れる度に植栽などを行って来たが、
1,938年(昭和13年)の国道付掛えの際に堤を崩し両側に歩道をつけ、
今日の姿になった。

現在700メートルに約330本ある松並木は、旧東海道の面影を良く残している。

                      舞阪町・舞阪町教育委員会

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【舞阪宿松並木の解説】

IMG_0255.jpg
対面には舞阪宿(まいさかじゅく)の解説

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舞阪宿

舞阪宿は江戸日本橋から264.9キロメートル(六十七里)、品川宿から数えて
三十番目の宿である。
東海道の陸路は舞阪で一度切れて、ここから新居宿まで海上一里半、
船を頼りとして渡ることになる。

浜名湖はかつて「遠淡海(とおつおうみ)」とうたわれる、淡水湖であったが、
1,498年(明応7年)の地震により切れて入海となった。

その切れ口を「今切(いまぎれ)」と呼ぶ。
地震による被災から復興して、今切渡船の発着地となり、舞阪は交通の
要地となった。

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県外から浜松にいらしたお客様が、松並木やクロマツに隣接して設置された
サイン(案内板)を目にしたとしても違和感を感じないどころか、


「そうだよなー、浜松らしいよね!」


と納得してもらえると思うんですよね。

 

今後、浜松城公園整備構想がどうなるかはわかりませんが、少なくともこれ以上に
納得いく案に発展して欲しいと思いますし、機会があれば発言をしていきたいと思います。


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