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【初夏の青森旅(その5)】八甲田山雪中行軍資料館 [ ・東北エリア]

昨年5月末に旅した初夏の青森旅行の続きです(笑)

5/23 青森市内 → 5/24 青森県立美術館・青森市八甲田山雪中行軍遭難資料館
・雪中行軍遭難記念像・田代平湿原・グダリ沼・酸ヶ湯温泉→?5/25 奥入瀬渓流散策
→ 5/26 十和田市立現代美術館・帰路


2日目の午前で県立美術館見学を終え、宿泊地「酸ヶ湯温泉」への経路で気になる箇所を
できる限り巡りました。
小学生の頃、高倉健主演の映画「八甲田山」で八甲田山雪中行軍での大量遭難を知り、
八甲田山雪中行軍資料館で基礎情報を学ぶことにしました。

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八甲田山雪中行軍遭難資料館
明治35年、緊迫する日露関係から「青森歩兵第五連隊」はロシアが厳冬期の八戸に
侵攻した場合を想定し、青森市から陸路で八甲田連峰を超えて三本木へ進軍できるか
否かを検証するため雪中行軍を計画したそうです。


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雪中行軍資料館のロケーション
正面に見えるのが八甲田連峰の北麓で、八甲田山と言う名の山は無いそうです。
この日の宿泊地「酸ヶ湯温泉」は八甲田山の丁度反対側の南麓に位置します。


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仮死状態で発見された後藤伍長の立像(レプリカ)
驚いたのは青森から田代(温泉)までの一泊行軍だけの計画だったため、まだ現地の
厳しさを知らなかった歩兵達にとっては温泉を楽しむような気楽さもあったそうです。

現代のような衛星通信手段が無かった時代。
予定日時になっても宿泊地の田代に到着しない第五連隊が大量遭難していることが
連隊本部では分からず、「どこかで野営しているのだろう?」と4日目になって
ようやく救援隊を派遣させたところ、5日目に腰まである雪中で立ったまま仮死状態
になった後藤房之助伍長を発見したそうです。

応急処置により10分後に蘇生した後藤伍長の口から、大量遭難になっていることが
判明し、遭難から6日目になって大規模な捜索が開始されました。


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雪中行軍を行った210名の英霊
210名のうち病気で引き返さざるを得なかった隊員などを除き199名もの犠牲者を
出す惨劇となったそうです。

明治35年1月23日夜半から遭難に遭い、1月28日からようやく大掛かりな捜索活動が
始まりましたが、結局、全ての遺体を収容できたのは5月28日だったそうです!

また、奇跡的生還できた17名のうち、四肢健全なのはたった3名。
他はいずれも重度の凍傷にかかり、入院治療中に6名が死去しました。


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210名の墓標が並ぶ幸畑墓苑
資料館の隣には明治36年に創設された幸畑陸軍墓地(幸畑墓苑)がありました。
士官10名の墓標と当時生存していた11名の墓碑、そして189名の墓標が整然と並びます。
手を合わせて後にしました。


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八甲田山雪中行軍資料館と幸畑墓苑
ここでこの後巡る、八甲田山の冬の厳しさを知ることが出来たのは良かったです。
豊かな自然が残っている意味、多様な動植物、奥入瀬渓流の理解につながりました。


一年ぶりの更新となりました。
昨年6月1日から住宅会社でデザイナーとして働き始めたタイミングの上、
この3泊4日の青森旅行は情報量が多すぎたため写真と情報整理に手がつけられず、
手軽なFacebook中心に活動していました。

今日で丁度1年が経ったことと、尊敬する石川淳さんから
「ブログ更新楽しみにしてしています」とメールをいただいたことから、
気を取り直して、青森旅行記をまずは完結させることにしました。


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