ひなたCAFEは次のステージへ [ ・手づくりジャム屋]
2008年12月に自宅カフェとして「ひなたCAFE」はオープンしました。
20013年12月カフェ営業終了。
2014年1月 手作りジャム工房へ業態転向し今に至ります。
ひなたCAFEは妻が働くための場として起業したビジネスで、女性メインの
お客様ですから、妻がやろうとしていることをちょっと引いた視点で見て
あれこれ助言してやってきました。
特に、カフェの立ち上げの際は保健所への相談など具体的に指示しないと
進まなくて、僕が帰宅した夜中に重要な打合せをすることが多かったですが、
2020年の今年、ひなたCAFEは次のステージへ向けてちょっとした改革を
行います。
しかし、その判断もアイディア出しも殆ど妻が一人で調べて考え、具体的に
実行するようになりました。
大きな企業であれば幾つもの部門をまたぐようなタスクでしたが、外部の
人の助言を得るなどしているため、僕はほぼ同意するだけで済みました。
妻は特段、経営やマーケティングの勉強をしたわけではありませんが、
良い意味でとてもニュートラルな感性の持ち主のため、その良さを活かせば
大きな失敗は無いだろうと思っていました。
自分ごととして自分の責任で仕事をすると「人はここまで成長するのだなぁ」
と思いました。
子育てについても、僕は子供の自主性を重んじることに置いていますが、
そっと見守って、必要に応じて別の視点を提供したり、高い視点から助言を
してあげたいと思っています。
20013年12月カフェ営業終了。
2014年1月 手作りジャム工房へ業態転向し今に至ります。
ひなたCAFEは妻が働くための場として起業したビジネスで、女性メインの
お客様ですから、妻がやろうとしていることをちょっと引いた視点で見て
あれこれ助言してやってきました。
特に、カフェの立ち上げの際は保健所への相談など具体的に指示しないと
進まなくて、僕が帰宅した夜中に重要な打合せをすることが多かったですが、
2020年の今年、ひなたCAFEは次のステージへ向けてちょっとした改革を
行います。
しかし、その判断もアイディア出しも殆ど妻が一人で調べて考え、具体的に
実行するようになりました。
大きな企業であれば幾つもの部門をまたぐようなタスクでしたが、外部の
人の助言を得るなどしているため、僕はほぼ同意するだけで済みました。
妻は特段、経営やマーケティングの勉強をしたわけではありませんが、
良い意味でとてもニュートラルな感性の持ち主のため、その良さを活かせば
大きな失敗は無いだろうと思っていました。
自分ごととして自分の責任で仕事をすると「人はここまで成長するのだなぁ」
と思いました。
子育てについても、僕は子供の自主性を重んじることに置いていますが、
そっと見守って、必要に応じて別の視点を提供したり、高い視点から助言を
してあげたいと思っています。