石巻の公園をデザインしたときの話(後編) [ ・ランドスケープデザイン]
3・11の震災で宮城県石巻市が大きな被害を受けたことを知り、とても気になっているのが
設計者として自分が携わった現場のこと。
それが自分にとって新たな成長の礎となった場合、とても思い入れがあるものです。
真っ白な計画地(土地)に自分が線を描き加えることで、その土地に新たな意味合いの空間を
生み出すのが僕らの仕事なわけで、そこにどんな意味の線を落とすべきかいつも悩みます。
適当にそれらしい線を描き入れ、
「ねっ!格好良いでしょー?」
と言って大切な税金で何十年も残る公共施設を作るわけにはいきません。
それは事業主である県の担当者も同じで、市民や県民、議会、上司に対して簡潔で合理的な
説明ができなくてはなりません。
・・・とは言っても当時の僕がそんなことをわかっていたわけではなく、後々になって考えてみると
「説明しやすいと思ったのだろうな~?」と年齢を重ねるにつれて理解できるようになりました。
前回記事でプラン一気に描き上げ、初回のプレゼン時、30分の打合せでプランの方向性が
確定したと書きましたが、16年前のあの感覚は今でも鮮明に覚えています。
アイディアが天から降りてくる
と言った感じで、一つヒントを見つけたことで、ディティールに至るまでのイメージが湧き出し、
手に持ったペンで頭の中のイメージを紙に一気に出力すると言ったものでした。
そのヒントを見出したのは石巻市の都市計画図を「ボーッ」と眺めていた時でした。
■プラン説明に用いた石巻市の都市計画図
あなたには何が見えましたか~?(笑)
石巻の公園をデザインしたときの話(前編) [ ・ランドスケープデザイン]
建設コンサル会社で公園の設計をしていた、1995年5月のGW明けだったと思います。
当時のI上司から石巻市の公園デザインをまとめる仕事を依頼されました。
「東北支店が受託した歩道橋整備にともなう公園計画のデザインが、何案出しても
まとまらないようで本社に応援依頼が来ている。
提案資料を見たが会社としてちょっと良くないレベルだから君にまとめて欲しい!」
■前年度にまとめられた基本計画の報告書
発注は宮城県石巻土木事務所。
東北支店の構造部(橋を設計する部門)が、県道整備にあわせて景観に配慮した歩道橋の
設計を担当したようです。
しかし、当時の東北支店には景観デザインの設計者がいなかったようで、土木設計者が
公園のプランをしたようで、
「これは無理だろう・・・。
発注担当者がOKを出さなかったのは正しいよね~」
と思ったほど。
こう書くと不思議に思われる方も多いかもしれませんが、
設計者から提案された案(プラン)から選ばなくてはいけないと思う発注者もいるのも事実。
発注機関としては工事発注の締切りもありますから、受託した設計者が作成したプランの中から
選んで設計が進み、結果としてそれで現場ができてしまうことも多いものです。
・・・とは言え、上司から依頼されたこの段階では僕自身もどんなプランを提案するのか、
また、提案したプランでまとまるのかさえもまったくわからない状況でした。
この案件は、僕自身が設計者として、コンスタントにまとまるプランを作ることが
できる切っ掛けをつかんだ思い出深いプロジェクトだったことと、
何より、3・11で大きな被害を受けた石巻市内のプロジェクトだったため、今回、
記事とすることに致しました。
東京スカイツリーと新人時代の仕事 [ ・ランドスケープデザイン]
東京ディズニーランドを堪能した翌日は、現在のホットスポットである東京スカイツリーと
僕が新人時代に担当した墨田区の公園を見せることにしました。
■墨田区立大横川親水公園から建設中の東京スカイツリーをバックに
この公園は、平成元年に新卒で入社した年から足掛け6年に渡り実施設計を担当させて
いただいた思い出深いプロジェクトでした。
僕が担当した当時で既に6~7割程度が共用開始していて、未完成な箇所を年度毎に工事を
実施するための実施設計を行なって完成させていったものです。
ですから、最初に担当した箇所などは既に20年以上経過しているため、遊具やトレリスなどの
構造物はかなり痛みが目立っていました。
それでも、新人の駆け出し時代にクライアントから叱られながらも一生懸命頑張って設計した
公園が、23年後の今でも社会資産として地域住民に利用され、その空間に自分の家族を連れて
行けたことがとても幸せでした。